#恋する海外文学

ゆとり会社員がお届けする海外文学・ビジネス書・洋書の感想ブログ。 Literary Classics and Murder-mystery Book Review from Japan ;)

町山智浩さん『アメリカ格差ウォーズ』を読んで考えること

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町山智浩さんの『アメリカ格差ウォーズ』を読みました。

 

…とこの本の感想を書きたいところなのですが、読んでいるうちに、アメリカやその他(含む日本)の国や地域の構造的暴力や正義(あいまいな言葉だが)についてかじった学生時代を思い出し、なんだか今思うことを書きたいと思ったので、以下は本書とは直接の関係のないお話になります。

 

アメリカは、良くも悪くも興味を惹かれる国だなあと。とはいえ、私がアメリカよりUKが好きだからという理由もあるが、アメリカについては大きな出来事や事件がないとなかなか考える機会がない。例えば一昨年の大統領選や、少し前の銃乱射事件、など。あとはマイノリティに対する差別など。

大統領選や銃乱射事件のときに一般の人の声を聞く機械があるけれど、そのときはいつも「この人たちは本当に自分のことしか考えてないな~」と思うのです。

 

あれ、でもそれってアメリカに住む人だけではないよな…。

日本に住む私たちも、その傾向が強くなってきているのかもなんて。私が大学時代所属していた学科は、国際関係・国際問題を扱う学科だったにも拘わらず、卒業論文で多くの学生が日本国内の社会問題を取り扱っていたことに対して教授が「手近なところで済まそうとする甘えがないか?」と苦言を呈されたのも記憶に新しい。

 

正直アメリカ国内のことなんて考えなくても生きていける。目の前の自分の生活で精いっぱいだと思うことも多々ある。「自分さえよければ」の呪いがちらつくこともしばしば。

 

それでも私が、”無関係な”ことにやっぱり関心を持ってしまうのは、「どのような外部者でいるべきか」を考え続けたいから。まあ外部者という言葉も線引きが難しいのですが。

 

「外部者」は常に不安定で難しい立場にいる。助けになりたい、なんてことを口に出せば、返ってくるのはほとんどが「介入するな」。でもそうであるなら、例えばシリアは?内戦状態のエルサルバドルは?絶大な力を持つ場合があるので、安易に外部がどかーんと介入してはならないと思いますが。

 

学生時代、何度も東日本大震災で被害にあわれた方々の住む地域に足を運ばせていただきました。岩手県宮城県福島県、訪れた地域は様々で、被災の状況やそれ以前の状況も異なる地域ばかりでしたが、そこではたくさんの方が、外部者である私が「来てくれることが嬉しい」とおっしゃってくださいました。(もちろん白い目で見られたこともあります。)嬉しい、と言ってくれたある方にその理由を尋ねたところ、「忘れられていないと実感できるから」と。

興味を持っている、知る努力、知ろうとする努力をしている外部者の存在が救いになることがあると教えられました。

 

また、被災地の話からは外れますが、世界の一見無関係なことを知ることで、身近なものの考え方・とらえ方が変わることがあるような気がしています。例えば日本で戦争というと第二次世界大戦をイメージする方が多いと思うのですが、ヨーロッパで第一次世界大戦の持つ意味を学んだり、映画を見ただけでめまいがしてきたグアンタナモのことだったり、スレヴレニツァのことだったりを知ったとき、自分の中の戦争に対する考えに少し変化が訪れたり。

 

よきインプットなしには、よきアウトプットは生まれない。

 

最初に話を戻しますが、アメリカで銃乱射事件が起きると結構日本のニュースはそれをセンセーショナルに取り上げて、「アメリカはやばい国!!!」みたいになるような気がするのですが、そのとき、「銃規制をしないなんてどうかしている」と憤ってそこで終わり、にするのではなくて(もちろん私も規制には賛成ですが)、その背景を知る努力をするべきだと思うのです。銃規制の話でいえば、そもそも銃がこれほど簡単に手に入ってしまう理由や、銃規制に反対する人の考えなどを知ることが、本質の議論をする前提になるのではないでしょうか。

その背景を知ったうえで(これには終わりがないが)、じゃあどうすれば?という問題の改善を考えていくというプロセスを踏みたいなと。色々知ってしまうと逆に過激な意見に流されてしまうこともありますが、そこは苦しいながらも考えることをやめないでいきたいと思います。考えつづけることに、意味があると信じて。

その考えるプロセスに、この本は大きく役立つだろうと、思っています。