#恋する海外文学

ゆとり会社員がお届けする海外文学・ビジネス書・洋書の感想ブログ。 Literary Classics and Murder-mystery Book Review from Japan ;)

エヴァンズ・プリチャード『ヌアー族』

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★本の情報

エヴァンズ・プリチャード『ヌアー族』

・訳:向井元子

・出版:平凡社

 

★内容紹介(平凡社HPより)

優れたフィールドワーカーが著した不朽の民族誌。アフリカ・ナイル川上流に住むヌアー族の社会を調査し、緻密に記述した本書は、人類学史上確固たる古典の地位を占める。

 

★そもそもヌアー族とは?(Wikipediaより)

【概要】

ヌエル族またはヌアー族(Nuer)は、南スーダンナイル川支流バハル・アルガザル川、およびソバト川近辺に居住する民族の総称。自らについてはナース(Naath)と称する。1960年代の調査では人口約30万であるが、この数値は言語的に近しいディンカ族の一部を含有している。

 

【文化】

ウシ、ヤギ、ヒツジなどの放牧や雑穀類の栽培による生活を営んでいる牧畜民で、雨期には土手などの高台に定着集落を形成する。

ヌエル族は経済的価値の基準にウシが利用されており、交換や譲渡を通じた社会関係の構築を行っている。集落は特定の出自集団を核とした血縁関係によって構成され、家族は父系クランの一夫多妻制をとっている。民族全体での政治的統一は無く、文化的共有をなす地域的な部族間での統一が図られている。しばしば部族間での戦闘や抗争が行われるため、これらを調停する役割として司祭職に発達を見た。報復的殺害を良しとしない場合は彼らにより内部調停が計られる。一般的にはこれらの賠償手段としてもウシが用いられる。

ジェニター(genitor:生物学的な父親)とペイター(pater:社会的な父親)が明確に区別された家族形態をとっている。結婚に際して結納の牛を女性の親族に送った人物が女性の夫として彼女の産むすべての子供(たとえ死後に他人の精子で受精したことが明らかな子であっても)の父親の権利を得る。この父親の権利は男性に限らず、結納を納めることができれば女性でも父親として子供をもつことができる。また、死者の名義で結納を送り、生まれた子供を死者の子とすることもある。

 

 

★感想

まずこの素晴らしいヌアーの研究を日本語で読めたことが本当にありがたいなあと思いました。エヴァンズ・プリチャードの膨大な量の研究を、最終的には原著で読んでみたいですが、何年もかかってしまいそうなので(笑)、訳者の向井元子さんには本当に敬意を表します。ありがとうございました。

そしてもちろん著者にも。文化人類学には学生時代からとても興味を持っていて、本当は私自身が実際に足を運ぶべきなんだろうけど、それでも難しい国や地域があり、できないことも多いので、やはり苦労してフィールドワークや参与観察をしてくれた研究者の方々には最大の敬意を。

 

上記でヌアー族の文化として牛が出てきていたと思いますが、本当に牛の文化なんです。牛が最大の価値というか。人々の価値観の中心にあるのは牛なのだと。ミルクを得るという食糧目的だけでなく、むしろ社会的意味のほうが強い印象を受けました。婚姻、争いごとの原因・解決、子育て、地位など。あらゆることに関係している。

中でも名前を牛からもらうことがある、というのには驚きました!(牛の色や形から取るそうです。)牛ファーストなんですよね、何事も…。

 

また、ヌアーの人々は喧嘩っ早く、好戦的だそうなのですが、それも生まれ持った気質というより作られた気質なのでは?と思いました。というのも、何か揉め事が起きた時それを中立の立場で裁く機関がない事実があるからです。私がもし何かの犯罪を見たり巻き込まれたりしたら、まず警察、そして場合によっては裁判、などと進んでいくと思うのですが、ヌアーにはそういった機関がないんですよね。だから、「やられたらやり返す」になってしまうのは仕方がない部分もあるのかなと。

ただ、ここまで考えて少し思ったのですが、そういった中立的な機関がないということは、非常に自律した社会なのではないかという見方もできるのではないでしょうか。

 

牛を中心にした生活ではあるのですが、彼らは本当にうまく生活を機能させているんですよね。客観的な数字で見たらヌアーの人々は貧しいという枠組みに入るのだろうと推察しますが、そんなことは彼らは気にしないのだと思います。彼らの生活は彼らのやり方できちんと歯車が回っているので。なので、援助は本当に難しいと思います。

 

援助が難しいと言うのは、プリチャードの研究でさえも非常に大変だったと思うからです。援助に比べ研究は同じ目線で接しているようにその対象からも思われるかと思うのですが、それでもプリチャードに対して平気でうそをついたり、物(タバコ等)を欲しがったり、軽蔑した態度をとったり、話が全くかみ合わなかったりなど、正直に言って接しづらかっただろうと。

 

地球には様々な文化や生活様式を持った人がいる。言葉も、根底にある価値観も、思考、行動もまったく異なる。

 

恋人が外国人で、大学にいたころも学内・学外問わず外国の人や文化に接し学んできた私も、どこか国際理解には少し懐疑的で、完全な理解の実現は難しいと思っています。溝はきっとありつづける。でもその溝に知恵や思いやりで小さな橋を架け、何とかうまくやっていく方法を考えていきたいと思うのです。